三渓園の早朝観蓮会〜古代から江戸時代の蓮の花のお話し〜

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横浜の本牧三之谷にある三渓園の早朝観蓮会へ行って来ました。

明け方からゆっくりと開き始め、朝7時頃いちばんの見頃を迎えた後は、9時頃から閉じ始め、昼には完全に閉じてしまう蓮の花。

三渓園では毎年、蓮の花の開花時期に開園時間を早めて早朝観蓮会をしています。

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昨日は早起きをして7時には三渓園の蓮池へ。
このところの猛暑続きもあってか、時期的に少し遅かったかな?昨夜も熱帯夜だった事もあってか、時間も7時では少し遅かった様で、すでにじりじりと照りつける様な日差しの中で、みずみずしいとまでは行かない姿の蓮の花でしたが、すっと気品を漂わせて美しく咲いていました。

 

日本には弥生時代以前に、大陸から渡って来た人々によってもたらされたと考えられている蓮。

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『古事記』にも「日下江の入り江の蓮 花蓮 身の盛り人 羨しきろかも」と、蓮の様に美しく若々しい人が羨ましい事だ、という歌が残されているそうです。

 

平安時代に入り、仏教思想が貴族たちに浸透してくると、蓮は釈尊と縁の深い聖なる花として扱われ始めました。

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鎌倉時代の寝殿造りの庭園には、中核の池に蓮が植えられていたとありますが、この頃の「和蓮」と呼ばれた一重咲きの蓮は、園芸種としてはさほど人気はなかったそうです。

江戸時代に入り、泰平の世が続くと、武家屋敷にも蓮が植えられる様になり、元禄の時代になって、中国から「唐蓮」と呼ばれる花の美しい多彩な品種が導入されると、観賞用として好事家に愛好され栽培される園芸種として人気を集める様になったそうです。
大名や有力な旗本にも蓮の愛好家は多く、なかでも老中職を退いた松平定信は、隅田川河口の霊岸島に「浴恩園」と名付けた庭園を造成し、百種近くの品種を植え、それらを自ら筆をとって描いたと伝えられる『清香画譜』という蓮の品種名を記した画譜を残しています。

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また、不忍池では、唐代の風流に習って「観蓮節」が催され、江戸の名所となり、見頃には蓮茶屋も繁盛したとあります。(以上斜体部分参考図書「週刊花百科18はすと睡蓮」講談社/「江戸の花競べ」小笠原左衛門尉亮軒・著・青幻舎)

上野の不忍池の蓮の花もいまが盛りでしょうが、蓮の花だけは、江戸時代から変わらない姿のままなのでしょうね。